3歳の娘
約8ヶ月の母の闘病生活。
そのほとんどは私が車で送迎した。
放射線治療は毎日の通院だったので、その時は私も娘も毎日母と会っていた。
母は娘をとても可愛がってくれていた。
もちろん息子の事もすごく可愛がってくれていたけど、そういえば昔「息子くんも可愛いけど、やはり女の子はなんか違うね。女同士の近さがあるね。」といったような事を母が言ったことがある。
同性である事はもちろん、母はわりと嫁たるものは嫁いだからにはその家の人間という意識がある人だったので息子は可愛い初孫だけれど義実家にとっても初孫であり、しかもそこの長男家族の長男なのでどこか遠慮もあったのかもしれない。
こんなに密な時間を過ごし愛情をかけられても、まだ3歳の娘はいつか母の事をほとんど覚えていられなくなるのだと思うと悲しい。
娘の中の母の記憶の上にどんどん降り積もり上書きされる記憶を振り払ってしまいたくなったりもした。
生前、母と娘と一緒にポニーに乗れる公園に行った。娘、初めての乗馬。
「ようやく娘ちゃんを馬に乗せてあげられたね。」
と母が言っていた。
母の死後、私以外の家族が義実家に行った時に娘はまたポニーに乗ったらしく「ちゃーちゃん(お義母さん)と馬に乗ったよ!」と言っていた。
私は思わず「あーちゃん(私の母)とも乗ったんだよ。」と言ってしまった。
きっと、母は「しょうがないよ〜。それよりも娘ちゃんに楽しい思い出がいっぱい出来る方があーちゃんは嬉しい☺️」って言うと思う。
けどねお母さん、娘はもしかしたらお母さんが生きていた頃よりもあーちゃんの話をするんだよ。
「あーちゃんの骨って何?(火葬場の話)」
「あーちゃんといっぱいお出かけしたよね。」
「みーちゃん、あーちゃんが大好き。」
この子なりにお母さんとの思い出を一生懸命無くさないようにしてるのかな…。
それなら、私はその手助けをしたい。
だって私だって幼い頃に亡くした祖父の記憶がほとんどないのが寂しいなと感じているから。
「みーちゃん、大きくなったらまたあーちゃんとお話できる?」
娘が訊いてきた。
「うん、きっとできるよ。」
「おねえさんになったらかなぁ?」
おねえさんはさすがに無理かもだけど、もしかしたら娘がおばあちゃんになる頃にはもしかしたら劇的に科学が進歩して、あの世の人と話ができるようになったり…しないかな?