もしもし、お母さん?

2018年8月に癌で亡くなった母への思い。自分の気持ちを整理する為に書きます。

慣れたのかな

ここに気持ちを吐き出さずに済むようになってきたよ。それが少し悲しくもあるけれど。

でも別に慣れたわけではなくずっとなんでお母さんがいないんだろうって思ってる。

でもそれで辛くて吐き出さないとやってられない程ではなくなったというのはやはり慣れたって事なのかな?

お母さんがいない事というより悲しむ事に慣れたといった方が正しいのかも。

 

今日は別に吐き出したいからというより、久々にお母さんの事をゆっくり思い出したいから書いたよ。

 

お母さんが生きていたらああ言ってたろうな、こう言ってたろうなと想像すると、お母さんが生きていて新しい思い出が作れたような気になって心が慰められる。

 

色んなお店が潰れて、色んなお店が新しくできて、お母さんが生きてた頃と同じじゃなくなっていくのが少しさみしいです。

 

ベラベラ喋る娘とお母さんはどんな会話をするのかな。

沢山食べる息子にお母さんはフルーツを沢山切って出すんだろうなとか。

お母さんは子供たちのすごく良いおばあちゃんで、きっともっと沢山の影響を与えてくれるだろうと思っていたからそれが本当に残念で悲しくて切ないです。

 

また会えるかなぁ?

忙しいと思うけど、たまには帰っておいでよ。

お母さん。